esminのブログ 〜わやだがね〜

3人の息子の子育てと旦那、家族を中心に、日々思ったことや愚痴、時々本の感想などを気ままに書いています。

長男の育児を振り返る(3)

こんばんは、えすみんです。

再び、長男のことを振り返ろうと思います。

 

小2の担任の先生は、ベテランの女性でした。ただ厳しくなかったです。

特に問題はなかったのですが、どうしても気に入らなかったのは、宿題のこと。

宿題をきちんと集めなかった点。

朝来たら、自主的に宿題を箱に入れるという仕組みだった。

出さなかったからといって、出しなさいとか、明日持って来なさいという指示もなく、連絡帳に書かれたりもしない。

学校の準備は一緒にしていて、忘れずに持って行ってたから、まさか出してないとはこちらも思っていなくて、夏休み前の個人面談で、宿題を出してないと初めて聞かされた。

こっちは持たせてるから、ちゃんと集めてくださいと言ったものの、先生はそういう強制はしたくないとか言って、意味わからない。

結局、宿題をやったところで、出さなくてもいいという気持ちが、長男には芽生えてしまい、そのうちに宿題をやらなくなってしまった。結局、こちらがかなり強い口調で言わないと宿題をしなくなってしまった。

クラスでどうしても気の合わない女の子がいて、その子としょっちゅう言い合いをするようになったらしく、席を離すようにしましたと、先生から連絡をもらう。

1年生と公園に出かけるという授業で、手を繋いでいた1年生の女の子に怪我をさせてしまい、電話で謝った。この時の担任の先生の対応もイマイチだった。怪我をしたと知らされたのは、ずいぶん経ってからで、1年生の子の親から謝りの電話がないとクレームが入って、ようやく私に知らされた。

楽しみにしていたスイミングも体操教室も行けなくて、子どもが残念がってます。というようなことを言われた。とりあえず謝ることしかできないので、ひたすら謝る。

他の人に謝りの電話をするなんて、思ってもいなかったし、これが初めてのことだったが、この後もう謝りのベテランになるほど、電話をすることになる。

 

2年生ではその後大きな問題はなく、3年生に。

3年生の担任は、新任の新人の女の先生だった。

大丈夫かな?とちょっと思ったが、4月の最初の面談では結構はっきりしてたし、意欲はあったので、まあ大丈夫かなと。宿題の件だけは、きっちり集めてもらうようにお願いした。

しかし、やはり大丈夫ではなかった。この3年生のゴタゴタを結局6年になるまで引きずることになる。

クラスで同じようなやんちゃな子がいて、その子と授業中に喧嘩になり、廊下に出されるとか、テストをビリビリに破くとか、テストを白紙で出したり、全部黒く塗りつぶしたり…。

帽子を取ろうとしない。先生が授業中は取るようにいっても取らないということで電話をもらった。

また、落ちていた縄跳びの持つところに、水を入れて遊んだ。とか、

体育の授業で体育館に行ったが、体育館の鍵で遊び出し、失くしたとか、

そういう細かいことで電話をもらうようになった。

学校で解決する能力がもうないんだなという思いもこちらには出てきてしまった。

 

ちょうどこの頃、入っていたリトルリーグでも問題があった。

とにかく長男の学年は人数が集まらず、この時わずか2人。1つ上の学年は10人以上いたのに。

で、いろいろあって、2人のうちのどちらかの父親が監督をしなくてはならない状況に。

性格的に全然監督なんてやる器じゃないのに、もう1人の人より野球に詳しいということで、旦那が監督になってしまった。

ただでさえ家で厳しいのに、野球でも監督で厳しくて、すぐに怒るし。

家でも父親というより監督みたいな感じで、一緒にいても気分が悪くなるくらい。

長男がだらしないこともあるが、あれがダメ、これがダメって。野球の話もああしろこうしろって。

私はこの時の厳しさが、長男を問題児にしてしまったのではないかと考えている。

もちろん、これだけが原因というわけではないけど、とても大きな要因になったんじゃないかと。

 

私の仕事もその頃上司とうまくいってなかった。とにかく子育てに理解のない上司であったし、職場を円滑にすることだけを考えた上司だったので、子どもが熱で休むことにも理解がなかったし、授業参観とかもダメだった。他の人の有給が入ってるから無理って。あなたばかり休んでるとも言われた。

次男はまだ保育園で、毎日送り迎えをしていたから、残業もほとんどしていなかったのも気に入らなかったと思う。その分仕事はちゃんとやろうと結構頑張っていた。あまり評価はされなかったけど。

朝7時に家を出て、夜7時に保育園にお迎え、通勤時間は片道40分。

その間3度の流産を経験する。

 

長男と一緒にいる時間が増えたら、長男も落ち着くのではないかと考えるようになる。仕事が辛くなったのもあるかもしれない。

長男に、お母さんが仕事を辞めたら、一緒にいられるようになる。だけど、貧乏になっちゃうよ。好きなおもちゃも買えないし、お寿司を食べに行くこともできなくなるよ。それでもいい?と聞いた。

長男が貧乏になるということをどれくらい理解しているのかわからないけど、長男は貧乏になってもいいから、お母さんが家にいて欲しいと。

長男の気持ちも考え辞めようか、でも経済的には働いた方がいいしと、思案していた時に、学校からの呼び出しがあった。

放課後、夫婦揃って学校へ行く。

学年主任の先生(2年の時の担任)と担任の先生、夫婦2人で話し合い。

今振り返っても、どんな話をしたのかあまり覚えていない。問題が多すぎて、どうしていいかもわからなかった上に、この2人の先生をもう信用できなくなっていたから。何を言われても、納得できなかったような気がする。

ただ、はっきり覚えているのは、旦那の発言。

 

「悪いのはこいつなんですよ。仕事辞める辞めると言いながら、なかなか辞めないから、子どもがダメなんですよ。」

 

は?!わたしのせいなの?

もしそうだったとしても、それを先生の前で言うの?え?!

 

かなりのショック。その後そのことで旦那と口論になったような気もするが、よく覚えていない。

 

そんなこと言うならホントに辞めてやろうと決意した時、妊娠が発覚。

もしこの妊娠がうまくいけば、産休育休に入るから、仕事を辞めなくても家にいることができる。1年一緒にいられたら、長男も落ち着くのではないかと思った。

しかし、そんなにうまくいかず、やっぱり流産。これで4度目。

 

もうダメだと思ったので、退職を決意し、上司にも言った。引き止められたが、長男の様子を伝え、子どもとの時間を作りたいと納得してもらった。実際にもう少し休みの融通が利いていたら、辞めなくても良かったかもしれないということは、上司には言わなかったが、今思えば言っておけば良かった。

 

後々聞いたら、3年生のときは、長男のクラスだけでなく、他のクラスも先生がうつ病になったりと、荒れていた時代だったようだ。長男のことしかわかっていなかったので、全然知らなかった。

結局3年生の最後まで、長男は落ち着くこともなく、言われたらすぐ言い返したり、手が出たり足が出たり、授業中も廊下に出ることが多く、ほとんど聞いていなかった。

旦那の野球の監督もまだ続いていた。あいかわらず…。

 

どれだけ問題があっても、4年生になった。私は退職したが、同じ職場で一度に3人も辞めることになり、学校に行ってる間だけの約束でパートで残って仕事をした。

子どもをいってらっしゃいと見送り、おかえりと迎える生活が始まる。