esminのブログ 〜わやだがね〜

3人の息子(専1,中3,小2)の子育てと旦那、家族を中心に、日々思ったことや愚痴、時々本の感想などを気ままに書いています。

失ったものを数えるな

こんにちは、えすみんです。

秋めいてきたり、暑くなったり、なんかもってかれますね。そういうのもなんのそのっていう年齢じゃなくなってきたんだなぁと思うこの頃です。

 

遅ればせながら、今パラリンピックのデイリーハイライトを見返しているところです。

もちろん、開催中も見てました。

デイリーハイライトを録画していて、もう一度感動に浸っているところです。

パラリンピックだけではなくて、オリンピックもですけど、オリンピックの見返しはもう終わり、パラリンピックを見返しているところなのです。

 

スポーツ全般が好きなので、結構何でも見るのですけど、パラリンピックというのは、とても特別な感じがします。

普段はあまり見られない競技だからでしょうかね。

子どもの頃は、オリンピックは見ても、パラリンピックは見てなかったんですよね。

シドニーくらいから、パラリンピックもきちんと見るようになったと思いますが、それでも放送をあまりしていなかったと思うので、だんだんと放送時間枠も増えてきて、より一層見るようになりました。それでも民放ではあまり放送してくれないのですけどね。

日本の選手が出てないと、放送してくれないですからね。

参加国や参加人数もだんだん増えてきているのかな?

盛り上がってくると、放送時間も増えそうですよね。

今回は東京ということもあり、すごく盛り上がったように思います。

 

パラリンピックは障害を持っている方ですが、見ていると、そんなの関係ないと思わせるほどの活躍ぶり。

そもそもそれでもできるんだ!(この言い方が正しいかどうかわからないです。)

っていうことに気付かされるということ。

現状に甘んじてるな、自分はと思ってしまいます。

 

腕がなくても、アーチェリーができる。

ドイツの選手だったかな。足で弓を構えて、口で矢を放つって、凄すぎます。アーチェリーという競技を選んだこと自体もすでにすごい。

水泳も同じように、足だけで泳いだり、逆に手だけで泳いだり。

視覚障害の木村選手は、先天性なので、1度も泳いでるフォームを見たことがないんですよね。それでもバタフライで金メダル。

ドルフィンキックって言っても、ドルフィンキックって何?ってなると思います。

私は水泳が苦手なんですけど、水泳って、泳ぎのフォームが確立されてて、より綺麗なフォームの方が早いと思ってるんです。ということは、理想的なフォームにいかに近づけるかと考えたときに、その理想のフォームを知っていることが前提になってくるんですけど、木村選手は理想のフォームを見たことがないんですよね。そう考えたときの、教える方の指導もさることながら、木村選手の努力って計り知れないですよね。

 

車いすの競技では、上半身や腕の力が凄いですし。

車いすバスケットも盛り上がりましたよね。転んでも、くるって元に戻るのなんなんでしょうね(^^)本当に凄すぎて、感動というか、感心というか、感服というか。

 

ボッチャって、パラリンピックならではの競技ですけど、あのコントロールの良さ。すごいです。

団体に出ていた方の昔の映像も見たんですけど、上半身がとても細くて、ボール投げられるの?っていうくらい。それを少しずつトレーニングしていって、今では上半身の体格がすごく良くてびっくりしました!こんなに変わるの?!って。

 

競技名を聞いて、障害があって、それってどうやるの?って。

なるほど、こうしたら障害があってもできるんだっていう、気づき。

障害があるからできないとか、諦めるっていうことではなくて、どうやったらできるのかということをまず考える。

 

パラリンピックの原点

『失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ』

 

これって、障害があるとか関係ないですよね。

自分にも通ずるものだなと思います。

あるものが無くなると、不便さを感じたり、不都合を感じたりして、ついついあれがないからできないとか理由付けして、諦めたり、文句を言ったり。。。

無いなら無いなりにどうしたらいいか考えることから始めようって、思考を転換させないとなって。

恵まれている人ほど、その転換ができないのかなって思います。

 

物理的なものだけではなくて、時間の使い方やお金の使い方とかも同じかなと、最近は思ったり。お金も時間もあった方がいいけれど。

 

全ての障害者がみんな同じようにできるわけではないから、パラリンピックに出られる方は、それでも恵まれているのかもしれない。

それはやっぱり障害者のない人がみんな同じようにできないのも一緒であるし、人によって恵まれていると思うことも違います。

お金に恵まれているのか、

家族に恵まれているのか、

友だちに恵まれているのか、

学力に恵まれているのか、

スポーツに恵まれているのか、

容姿に恵まれているのか、

などなど。

人それぞれに何かしら欠けているものがあって、人それぞれに欠けてるものに対しての考え方も違っている。

 

人と比べてどうのとか、他の家庭と比べてどうのとか、そういうことを考えることが既にどうなんだろうって思いますよね。

失ったものだけではなく、元々無いものをいちいち探すのもどうなんだって。

 

パラリンピックを振り返りながら、そんなことを考えいます。

子どもたちは、私がパラリンピックを見ていても、パラリンピックすら興味を持たないのですが、このパラリンピックの原点の意味を考えてもらいたいなぁと思ううこの頃。

もう少し大人になったら、理解できるようになるかな。

 

 

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