esminのブログ 〜わやだがね〜

3人の息子(高3・中2・小1)の子育てと旦那、家族を中心に、日々思ったことや愚痴、時々本の感想などを気ままに書いています。

サポートか過保護か〜子どもの幼稚化〜

こんにちは、えすみんです。

もうすぐ1年が終わりますね。

2,3週間ほど前からタイトルだけ書いていたこのブログ、年内には書きたいなということで、実家に向かう新幹線の中で書き始めました。

 

これを書こうと思ったのは、Twitterのあるツィート。自分がコメントした時はそうでもなかったけど、コメントにコメントがついたりして、かなりバズったようで、後で何かに取り上げられたりしていました。

ツィートの内容は、学校から保護者宛の一斉メールで、明日習字道具がいりますっていうもの。発信した方は、こういうメールはありがたいっていうようなことでした。

そりゃ、ありがたいとは思います。我が家の息子たち、特に長男なんかはそういうものを平気で忘れるし、必要なプリントも出さないし、学校から一斉メールは情報源としてとてもありがたいと思います。

でもこのメール、中学校だったんです。

なので、ありがたいメールだけど、中学校っていうのが引っかかるなぁってコメントしたんですよ。

そしたら、それに対してかなりまたコメントがあってビックリしたんですけど、しかもほとんどの方が中学校でもそういうメールはありがたいし、不要だと思う方は無視すれば良いみたいな感じでした。

その反応にまたビックリした次第。

中には、子どもが発達障害だから、ADHDだからという方もいて、こういうメールがないとやっていけないみたいなコメントもありました。

諸事情はあるのかもしれないけど、私個人的には、中学になったら、それくらいは自己責任でやってくれよって思うわけです。だって習字道具ですよ。

中学生でも少し前は小学生だったし、みたいな意見もあったんですけど、

いやいや、一体いつだったら自己責任でやってくれるんだって話ですよ。

宿題にせよ、持ち物にせよ、小学の高学年からはマジで自分でやれるようになって欲しいわけですよ。

自分が小学生の時は、ほぼ自己責任でしたし、学校から一斉メールなんてものもありません。

忘れて何もできない自分がいて、恥ずかしいだけです。

いつまで親がサポートするんですか?って話です。

 

タイトルの副題に子どもの幼稚化って書いたんですけど、これは長男が通った中学校の先生が言った言葉です。

私立の中高一貫校だったのですが、その先生はもう長くその中学校にいて、ずっと中学生を見ているわけですが、

その先生が言うには、

『受験してこの学校に入ってくる。確かに勉強はそこそこできる子が毎年ちゃんと入ってくるけれど、10年前の子と今の子では明らかに今の子の方が幼稚である。

持ち物に関しても、授業に必要なものを用意する

授業と授業のけじめ

先生に対する態度

掃除に対する姿勢

団体行動における態度

個性的といえば聞こえはいいが、単なるわがままであることが多い。』

だそうです。

 

つまり先のツィートのように、中学生になっても親の力を借りなければ、習字道具を用意することができない。というわけです。

 

私のコメントにコメントした方々のように、サポートしてあげたい親が多いというのを考えると、子どもが幼稚化するのも仕方ないことなのか?とも思います。

子どもが忘れ物をしないように、

子どもが忘れ物をして、恥ずかしい思いをさせたくない、

子どもには不要な失敗をさせたくない、

そういう親心なのかなとは思います。

 

これってサポートなんでしょうか?

過保護なんでしょうか?

サポートと過保護の境目ってすごく難しいですよね。

自分でも子どもたちに自己責任でやって欲しいと思いながら、あれこれ口出しをしてしまう。

 

長男は、リコーダーが嫌いで、やりたくないという理由で、ずっと家に置いたまま忘れてたんです。

ある時、音楽の先生から連絡をもらい、長男のせいで、合奏ができないから困っていると連絡がありました。つまり、個人のリコーダー練習→テスト→合奏という流れの中、長男1人だけが個人のテストに合格しないため、合奏ができないということ。

GW前の連絡だったのですが、GW中に家で練習をしてきてほしいという。

持ち物に関しては、自己責任を貫いていましたが、さすがに他の子の妨げになっているのは見過ごせませんでしたので、かなり怒りました。GW中にスパルタで練習をさせました。

これが小学6年のときの話です。

 

嫌いだからやりたくないって、それはホントにただのワガママ。

やりたくないことはしなくていいっていう世の中の風潮もありますけど、結局そういうことも引っくるめて、子どもが幼稚化している原因なのかもしれません。

長男の場合問題が多すぎて、親が口を出しすぎてしまったケースかなと思ったりしています。

 

自分が子どもの頃と比べて、世の中もいろいろ変わっています。

発達障害というものも広く知れ渡り、診断も昔より出るようになった気もしています。

スマホの発達とかネットの普及とかそういうこともあるかもしれません。

何より、親である自分たちもまた幼稚化しているのではないかと考えたりします。

 

子育てに失敗したくないと思う。

子育てに関する情報も昔より簡単に手に入るし、ネットには溢れんばかりの情報がある。

それに振り回されているのかなぁ。

サポートと過保護の境目が、わからなくなっている。

 

実母に言われたことがあります。いつ親が死んでもいいように、育てたって。

すごく極論のような気もするんですけど、事故などで、両親が急に死んでしまったら、施設なり親戚なりに子どもが預けられた時に、子どもが最低限自分のことは自分でできるように育てるというのが、実母の子育てのポリシーだったようです。

それを聞いたときに、確かに!と思ったんですよね。そういう状況になるかどうかは別としても、やっぱり自分のことは自分でできるって言うのが重要なことではないかと。

私も兄も遠足やキャンプ、修学旅行などの持ち物は自分で用意してました。

洗濯を干したり畳んだり、洗い物したり、夏休みのお昼ご飯を作る(ある年齢になったら)とか、そういうのもお手伝いというよりかは、生活する上で必要なことという感じ。

今のようにネットは無かったので、本を読んで調べるとか、自由研究的なことではなくて、生きていく上で必要な知識を得るという感じ。

夏休みなどの長い休みになると、必ずどこかのキャンプみたいな所に行っていました。家に子どもがいないという楽さも母親の中にはあったかもしれないけど、家族ではない、友達でもない人たちとある一定期間一緒に過ごすというのは、とても良い経験だと思うのです。

私が子どもの頃行っていた場所は、お寺で3日間団体生活をした後、グループに分かれてお寺の近くの民家でまた3日間寝泊まりするというもの。他所の人の家に泊まるというのは、家それぞれのやり方とか食事とかを体験できるってなかなかないですよね。

必ずこういう経験をしなくてはいけないということではないですよ。いろいろ考え方とかあると思うんで。

 

寿命的なことから考えても、親の方が先に死ぬんです

先の習字道具じゃないですけど、いつまでサポートを続けるんでしょう。

親がやってあげたいっていう気持ちだけで、どこまですればいいのでしょう。

 

私が働いている施設はいわゆる知的障害を持った方(養護学校卒業後)が通っています。

障害にも幅があるけれど、できるだけ自分でできるようにするというのを施設のモットーとしていて、障害に合わせたサポートをしています。

最初は下駄箱に自分と靴をしまうということすらできなかった方が、半年くらいでできるようになったりします。福祉関係のことはよくわかっていないので、こういうことは養護学校ではやらないのかな?と思ったりもするのですが、少しずつできることが増えていく(限界はある)のを見るのは嬉しいですよね。

ただ施設だからできるの?と疑問に思うことも。

自分の靴をしまう、家で下駄箱はないけど、似たようなことはできるとは思うんですよね。鞄とか服とかいろいろ。

結局家庭ではそういうことをしていないんだと思うんですよ。育てるにあたって、親御さんも余裕がないんだろうとも思います。仕事して、家事して、子育て(しかも障害あり)って、本当に大変だろうなとも思います。

時折、苦情というか、クレームとかもあります。

その際に「障害があるからではなくて、子どもにあったサポートをしてほしい」というようなことを言われました。

私の勝手な第一印象ですが、障害があるからと思っているのは親御さんの方なのでは?って。

できることには限界はあるし、施設としてやれることにも限界はあるけれど、その前に障害があるからという理由で、それまでずっと親としていろいろサポートし過ぎたのでは?と思うわけです。

いわゆる健常者(この言い方は好きではないけど)と比べて、サポートしなくてはいけないことが多いのは当然で、親だけのサポートだけでも足りないとは思います。

だからこそ、親が先に死ぬということをより強く考えなくてはいけないのでは?

親以外のサポートがより必要だからこそ、自分でできることを少しでも増やしていくべきなのでは?

って考えちゃうんですよね。

それが大変なことは理解してるんですけど。だって、障害のない息子たち(長男はグレーかもしれない)を育てるのだって、大変なんだから。

当事者にしかわからない苦労や苦しみもあるので、簡単ではないと思いますが。。。

 

たかが習字道具の一斉メールから、こういうことを考えちゃうわけですよ。

たかがメールでしょ?

なにごちゃごちゃ考えてるの?

って思われるかと思うんですけど、考えずにはおられない質なんですよねー。

ごちゃごちゃ言ってて、自分の息子だって、ろくに育ててないくせに

って思われてしまうかもしれない。

それでもやっぱり考えてしまう。

親として、子どものサポートはいつまでどこまで必要なのか。

 

子どもの幼稚化の流れに、息子たちも少なからず乗っかっているわけですが、実母じゃないけど、明日もし私が死んでも、長男次男はとりあえず大丈夫かなとは思っています。

 

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