esminのブログ 〜わやだがね〜

3人の息子の子育てと旦那、家族を中心に、日々思ったことや愚痴、時々本の感想などを気ままに書いています。

愚痴を吐き出す

サンドウィッチマンのバスで飲食店を探す番組を見て、

TOKIOの松岡が

「愚痴からは何も生まれねーよ。」

って言ってた。

 

カッコイイ!

 

と思う反面、

 

今埋まってる愚痴を吐き出さないと、

新しいものに行けない

 

とも思う。

 

適度に愚痴を吐き出す環境でないから、

うつ病になったりするんだよな、たぶん。

TOKIOの松岡のような人は、自分で愚痴を消化できる人なんだろうなぁ。

 

愚痴って、確かに良いものではないし、自分が聴く側になったときに、

心地いいわけではないけれど、話している人が話すことで消化できるのなら、

聴く側になるのも私は悪くないと思っている。

たぶんそれは、自分も話したいからなのかなと思う。

 

そもそも愚痴って、なんだ?

ストレスと何が違う?

ストレスが溜まって、愚痴として吐き出すっていうのが合ってるのかな。

 

ストレス発散ってよく言うよね。

音楽を聴くとか

運動をするとか

ゲームをするとか

買い物するとか

美味しいものを食べるとか…etc

 

確かにそれをしてる時は、気晴らしになるというか気持ち良かったり、

楽しかったりするけど、

生活そのものは変わらないのだから、結局ストレスは溜まるんだよな。

 

愚痴を吐き出すというのは、自分の思いや考えをぶつけるんだけど、

吐き出すことで冷静に考えたり、もし聴いてくれた人が、それに対して

ただ同調するだけでなく、何か考えを言ってくれたりしたら、

なんかその方が一歩進めると思うんだけど、

愚痴を吐き出したいという、私の勝手な妄想かもしれない。

 

世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えの人がいて、

例えそれが、自分と相反するものであっても、意見を交わしたいと考える私と、

自分と相反する意見は聞きたくない、話したくない、意味がないと考える人では、

いつまでも交わることがないんだよなー。

ちゃんと意見を交わせる人の方が、付き合いが深くなっていくと思うんだけど。

世の中には、後者の方がいかに多いことか。

 

例えば、被災した人たちのストレスはすごいもので、

仮設住宅で過ごすストレスも想像以上だと思うし、

愚痴を言っても、家が元に戻るわけではないけれど、

愚痴を言っても、何も生まれないと切るのではなくて、

やっぱりそういう方たちが吐き出す愚痴にも寛容でありたいと思うんだよなー。

 

自分と被災者ではストレスの度合いが違うのだから、同じレベルで言うなという

意見もありそうだけど、どんなことにしても、人によってストレスの大小はあるわけだし、

日頃から寛容でない人というのは、特別なケースのみを寛容にするということも

できないと思う。

日頃の積み重ねが、どんなことにも繋がっていると思っているから。

 

要するに、旦那は愚痴を聞いてくれず、私は愚痴を言いたいのです。