esminのブログ 〜わやだがね〜

3人の息子(専1,中3,小2)の子育てと旦那、家族を中心に、日々思ったことや愚痴、時々本の感想などを気ままに書いています。

育ってきた環境が違うから

こんにちは、えすみんです。

ちょっと間が空きました。もう一つの使い切りブログも遅れているので、そちらに気を取られ、こちらが疎かになるという。。。こっちの方がメインのはずなのですが😅

 

今回は日頃の行動に育ちって出るよねって話です。

育ちといっても、貧富の差のことではありません。まぁ、それも影響すると言えばするけれど、どちらかというと、常識非常識というか、マナーの問題というか、そういう話です。

もうずっと脳内で、山崎まさよしの『セロリ』がエンドレスでかかってます(笑)

 

なんでこの話なのかというと、きっかけになる出来事が2つありました。

 

エピソード1

夏休みにしれっと出かけた旅行先での出来事です。

ホテルの敷地内に、子どもがメインで遊べる広場がありました。

じゃぶじゃぶ池、滑り台、トランポリンなどいろいろありました。

三男は滑り台が大好きで、普通の公園に行っても、エンドレスで滑り台をやってます。

そこにあったのは、普通の滑り台ではなくて、空気を入れて膨らませてあるような、ふわふわ滑り台です。

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滑り台の前には、『くつをぬいでね』という看板がありました。

三男は靴を脱いで2回滑ったところで、じゃぶじゃぶ池で遊んでいたと思われる姉弟が走ってやってきました。

もう全身ずぶ濡れで、水が滴っているような状態。

その姉弟がそのまま滑り台に上がろうと、階段を2,3段登ったところで、私は思わず

「濡れたまま滑らないで。濡れずに遊んでいる子もいるんだよ」

と少し大きめの強めの声で言いました。

そう言われて、姉弟は謝るわけでもなく、気まずい顔をするわけでもなく、言われたから仕方ないかみたいな雰囲気で、滑らないで、そのままその場を去りました。

チラッと見たら、少し離れたところに両親がいて、こちらを見ていました。

その姉弟は滑りませんでしたが、階段を途中まで登ったので、階段がかなり濡れてしまいました。

三男は靴下を履いていたし、濡れたくなかったので、滑り台を諦めました。

暑かったし、外だし、濡れてもすぐ乾くかもしれない。

じゃぶじゃぶ池から、すぐの場所にあったし、濡れたまま滑らないでという看板もなかった。

それでもやっぱり私の中では、びしょ濡れのままその滑り台を滑って良いとは思いませんでした。

三男が滑りたかったのに滑れなくなるからではなく、もし逆だったら、私は三男の体を拭くなり、濡れてたら滑れないと三男には言っていたと思います。

この私の考えは、もしかしたら私だけで、私が間違っているのか?という不安もあり、友人に話をしたり、職場の同僚に話をしたりしてみました。

とりあえず、友人も職場の同僚も私と同じ考えでした。

友人曰く「最近の親はね〜」なんて言うんだけど、一応自分たち最近の親じゃない?(笑)って言ったら、

「やっぱり育ちかな〜」

って。

あのびしょ濡れの姉弟の親は、びしょ濡れのまま滑ることに特に何とも思わなかったわけです。

たぶん、じゃぶじゃぶ池で遊んでて、そろそろ部屋に帰るよーって声をかけたら、最後に滑り台で遊びたいと子どもが言い、行ってきたらって。そんな感じだと思うんです。

そこで私に叱られた形になった。

滑り台を諦めた後、その姉弟は濡れたままで、トランポリンをやってましたから。

濡れたまま他の遊具で遊ぶことに対して、あの両親は何とも思わなかった。

では、その両親は間違っていたと言えるのか?

非常識だと言えるのか?

マナーがなってないと言えるのか?

つまり、こういうところで、育ちが出るってわけです。

その両親の両親も何とも思わなかったら、その親に育てられた子は、やっぱり何とも思わないわけです。

だからきっとあの姉弟が大きくなって親になっても、たぶん何とも思わなくて、同じようにびしょ濡れのまま他の遊具で遊ぶ子が育つわけで。。。。

 

エピソード2

職場の話。

職場では小さな畑を持っていて、野菜を育ててます。

収穫したら、軒先で100円とかで売ってます。

今年、初めてとうもろこしを育てて、うまく収穫できました。

畑のボランティアに来てくれている年配の方(Aさん)がいるのですが、

同僚がAさんに初めて取れたとうもろこしを持っていきますと上司に報告していました。

私はその報告を聞いてました。

午後になって、同僚が持って行ったはずのとうもろこしをまた持って帰っていました。

同僚が上司に報告します。

「Aさんの家に行ったが、Aさんは体調が悪く、寝込んでいた。顔色も悪かったし、年齢的にも心配です。Aさんが申し訳ないけど、みんなで食べてというから、とうもろこしをそのまま持って帰りました」

私はまたその報告を聞いてました。

正直、その報告に内心ビックリです。

思わず『えっ⁈』と声が出そうになったほどです。

何にビックリしたかって、アポを取っていなかったことです。

ものすごく親しい友人や親戚ならまだしも、仕事上の付き合いの方にアポを取らずに、いきなり家まで行ったのかと。

もし、アポをとっていたなら、体調が悪いことも電話で知ることができ、玄関先等で煩わせることはなかったと思います。

さらに、コロナのこのご時世です。しかも相手は高齢の方です。訪問するのも本来控えるというか、はばかれるじゃないですか。

その同僚に対しては、職場内でも考え方とかあり得ないっていう不満が結構あります。

だから、今回の件で、非常識な人だわ〜という印象がより強くなりました。

同僚にとってみたら、初めて取れたとうもろこしを届けることはあくまで善意で、一方的ではあるにしろ、全く悪気があるわけではありません。

むしろ、せっかく持って行ったのになっていう感じなのです。

私は同僚の行為を非常識だと思いました。他の同僚の何人かも同じ考えでした。

では、本当に同僚は非常識だったのか?

同僚は間違っていたのか?

つまり、この件も育ちが出てるってことです。

きっと同僚は、今まで同じような行動に対して、非常識だと言われたことがないのでしょう。会ったことはありませんが、同僚の親も同じような考えの人なのかもしれません。

善意で届けることが正しいと育てば、その行為に疑問を持たないでしょう。

 

この2つのエピソードから、育ってきた環境で変わるよねって思うわけです。

常識非常識の概念は、どこか多数決なところがあって、それが本当に正しいのかというのを一度疑う必要があると私は思っています。

自分の中での有り無しを判断するのですが、その答えが絶対なのかどうかを自分でまず疑ってみる。

私は、今回の2つのエピソードについて、自分ではこう思ったんだけど、どう思う?と他の人に聞いてみました。もしかしたら、私に同調した方がいいという判断の人も中にはいたかもしれませんが。。。

人の意見を聞くっていうが大事かなと。

ま、聞いても自分の意見を変える必要はないけど、判断材料にはなるよね。

それと、育ってきた環境の違いで、やっぱり判断に差が出るということ。

その判断によって、周りへの印象とか、常識非常識の分かれ目とか、マナー違反なのかどうかとか、そういうのに影響を与えることになります。

ということは、やっぱり親の育て方によって、子どもの判断も変わってくるということ。

ここがすごく大事。

 

特にエピソード1の姉弟のようなケースは、本当によくあることだと思います。

びしょ濡れで滑ることで、濡れていない他の子どもに迷惑がかかるということに思いが至らない。自分たちが滑れたらそれでいい。親もそういう判断で、特に注意をされてこなかった子どもたち。

周りとうまくやっていけるのかなとか、

変なクレーマーになりやしないかとか、

自分の育てた子どもがどう考え、行動するのか。

全てにおいて親の影響を受けるとまでは言わないですけど、影響力は大きいと思います。

 

私は、びしょ濡れのまま他の遊具で遊ぶことはあり得ないと思って、これを書いているわけですが、これを読んでいる方の中には、全然そんなの気にしないよっていう人がいるかもしれません。子どもなんて、濡れて当たり前で、近くにじゃぶじゃぶ池があるんだから、濡れたまま遊ぶのが普通っていう考えの方もいるかもしれません。もしかしたら、私の考えが非常識なのかもしれません。そんな非常識な人に叱られて、あの姉弟はかわいそうだなって。

 

つまり、ここには私の育ちも表れているわけです。

この自分の考えを私は正しいと思っている。そういうふうに育ちました。

例えば他にも、公共の場のトイレに行って、汚れているのを見るとあり得ないと思ってしまう。特に昔ながらの和式トイレで、便器の端っこに便が付着しているような状況。よくありません?

私の中ではこれもあり得ません。万一自分が失敗をして便器を汚してしまったら、私はトイレットペーパーを使って拭き取ります。次に使う人がいますから。

ナプキンも同じで、捨てるときは必ずトイレットペーパーで包みます。そのまま捨てることはありません。

私はそう母親に言われて育っています。

このトイレの件は特殊かもしれませんが、自宅ではない、公共の場でのふるまいという点では根本は同じかなと思っています。

ポイ捨てとかの方がわかりやすいかもしれません。

 

ホテルのブュッフェとか食べましたが、好きなだけお皿に持ってきて残しているとか、テーブルの下が食べこぼしだらけとか、よく目に付きます。

親として恥ずかしいなと私は思うわけですが、それも育ちの違いですよね。

子どもが食べこぼすのはよくあることなので、こぼさず食べるのは難しいです。でも、こぼしてしまったものは、やはり拾っておくべきでは?と思うわけです。ナプキンとかありますから、それで掴んで皿に載せておく。

ブュッフェは、好きなものを好きなだけ取れるけど、取った分は食べきるのがマナーでは?と思うわけです。過剰な量を盛り付けるのはどうなんでしょう。

でもこれは、私がそう言われて育っているから、自分が正しいと思っていることですが、そうでない人には、正しいことではないということです。

 

どちらが常識で、どちらが非常識なのか。。。

どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。。。

 

育ってきた環境が違うから、ある1つの事柄に対しての考え方も違ってきて当たり前のこと。

ただそれによって、誰かに迷惑をかけてしまうことはやっぱり避けたいなと思うわけです。

今、自分は3人の息子の親であるわけですが、自分の言葉や考え方によって、少なからず息子たちに影響を与えていると思います。

勉強ができるできないとか、

いい学校に行くとか行かないとか、

ちゃんと就職するとかしないとか、

そういうことも考えてしまうけど、やっぱり人に迷惑をかけないような行動をして欲しいですよね。

自分の言動がすごく子育てに繋がっているというのが、すごく怖いことなんですよね。

前にも子育ての重圧について書いたことがあったけど、ホントにすごい重圧だよね😅

 

育ってきた環境が違うからということを念頭に置いておくと、たまに理不尽なことを誰かに言われたりしても、考え方が違って衝突したとしても、育ちの違いだなって思えるようになり、無駄にイライラすることが減りました。ムカッとすることもゼロではないけれど。

旦那もまた育ってきた環境が違いますからねー。衝突するのも当たり前かなと思うわけで。

 

自分の子育てが正しかったかどうか、答えがわかるのは、もう何年も先になるけど、生きている間にわかるかどうかもわからないけど、息子たちが人に迷惑かけないような生き方をしていけたらいいなと思います。

親のせいで不幸になるのは避けたいですよね。

 

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